3.11

3.11ですね。
4年前の今日だったのですね。

私は仕事で近所のスーパーにある
ATMに出掛けたところでした。

会社を車で出て5分もしなかったでしょうね。
車があらぬ方向に揺れて
突風??なに??もしや地震??
と頭が????のまま
目的地のスーパーの駐車場へ入ったのでした。

それからは
スーパーの人たちがわらわらと外に出てきて
電気がおちて
前にいた親子が
お母さんが子供を守るようにしゃがみ
スローモーションの光景で
目に焼き付いています。

急いで会社にもどり、家に行き、学校へ行き
行く場所、通る道の変わり様に
ことの大きさを実感していったのでした。

しかし、ここの被害などかわいいものだったのですよね。

夜、わが家に避難してきた男の子が持っていたPSPで見た
津波の画像には言葉を失いました。

その後普通の生活に戻るまでどれくらいかかったでしょうか。

電気が復活しガソリンが買えるようになり
スーパーが屋外で一部商品を売るという情報が入り
寒い中何時間も並んで買物をしましたね。

流通が戻ると、即座に支援物資を送ってくれた
家族や友人に感謝し涙がでました。

千葉の両親と那須で落ちあい
SIMONを渡し預かってもらいました。
その際また沢山の物資、水やガソリンまで
持ってきてくれていました。

わが家は幸い命の犠牲をはらった者もおらず
ほどなくして一見は普通の生活に戻りましたが

原発の問題等々
あの地震がなかったら…
と思うことが沢山あります。

逆に言えば
学んだことも沢山あるのですが。

4年経った今思うことは

今後こんな災害が起きた時に
どうすればよいか
普段から何に気を付けていればいいか
どうしたら家族を守れるか
イメージしておくことが大事 かと。

風化させちゃいけないから
被災した建造物を残そう とかっていうのは
多少違和感を感じる私ですが

今日は
命を落とされた多くの方に手を合わせ
被災で得た教訓をあらためて思い返したいと思います。

CIMG9921.jpg

…と!
そんな3.11に友人が仙台に来てくれました。

ゴスペルシンガーの彼女たちは
大船渡から気仙沼へ歌いに行き
帰りに仙台駅に立ち寄ってくれたのでした。

2時間の間 牛タンをいただきながら
4年前のこの日のことから
彼女たちが昨日今日行って見てきた被災地の話
もちろん個人的な話まで
いろいろな話をしました。

あの日があって
友人との絆がさらに深まったのも
事実としてあり

ツラい思いをした分
神様はご褒美を用意してくれているものなのですね。

一生の幸せの量は
皆同じだって言いますもんね。

未だツラい思いをしている方も
希望を持って生きてほしいなぁと
心から願います。

震災に限らずですけどね。

そうだ、長くなったついでに
この話も書いておこう。

この日あったKさんは
昔、尊敬する大師匠と とあることで決別をし
20年以上経った2年前に再会、和解したそうです。

20年以上!その歳月を超えてですよ。
もう一生顔を合せることはないと思っていたのに
こんな日がくるなんて♡
ですよね。
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